“超・天才”ブラッド・メルドーのピアノ・ソロ・コンサート。しかもTOKYOでのLIVE2枚組と来た。
喰いついた! これで喰いつかずにいられるかっつーの!
『LIVE IN TOKYO』は“貫録の”ソロ・ピアノの名盤である。
ビル・エヴァンスっぽいのは当然として,キース・ジャレットとも異なる,ザ・ブラッド・メルドーの“らしさ”漂う,オリジナルのソロ・ピアノ。流石は“超・天才”である。
名曲の旨味を絶妙の味付けで調理し,それはそれは美しく盛り付けていく。文句のつけようのないブラッド・メルドー流の“匡の技”を堪能できる。素晴らしい。
ただし,残念ながら管理人にとって『LIVE IN TOKYO』は「想定内」の名盤であった。ブラッド・メルドーは「できる子」なのだからブラッド・メルドーならこれくらい。
ロマンチシズムが“ほんのり香り”リリシズムが“ほんのり立ち昇る”いつものクールで理知的なブラッド・メルドーのジャズ・ピアノが実にお上品。
これをブラッド・メルドーの個性として一蹴することもできるのだろうが,管理人のブラッド・メルドーへの,そして『LIVE IN TOKYO』への期待値は異常に高かった。
やはりソロ・ピアノと来ればキース・ジャレットであり,現時点でのブラッド・メルドーはキース・ジャレットには及ばない。
しかし,キース・ジャレットを超えるジャズ・ピアニストは,この世にブラッド・メルドーただ一人しかいやしない。いつの日かブラッド・メルドーその人にキース・ジャレットを超えてほしい。そう願ったものだった。
その意味で『LIVE IN TOKYO』は「想定内」。つまりブラッド・メルドーはトリオでもソロでも演奏の本質は変わらないジャズ・ピアニストであった。
ここをどう評価するか? ビル・エヴァンスともキース・ジャレットとも異なっている演奏は合格。しかしブラッド・メルドー・トリオの世界を“一人三役”でこなしたかのようなソロ・ピアノは不合格。
個人的にはブラッド・メルドーには,ソロ・ピアノぐらいは,過去の延長線上から逸脱してほしかった。『PLACES』をレコーディングした時のように…。
管理人は“ソロ・ピアニスト”ブラッド・メルドーとしての“新しい引き出し”が聴きたかった。そこだけに注目していた。
キース・ジャレットのように,創造のために“もがき苦しむ”ブラッド・メルドーが聴きたかった。
きっとそういうことではないのだろうけど,ブラッド・メルドーの“超・天才”がそのように聴こえさせている。すっきりとした構成と淀みない流麗な展開は,管理人が期待した完全即興の“産みの苦しみ”ではないのである。
管理人の結論。『LIVE IN TOKYO』批評。
『LIVE IN TOKYO』は,キース・ジャレットが行なってきた,完全即興ソロ・コンサートではない。
『LIVE IN TOKYO』とは,思索的で詩的なピアノが反復しては消えていく,ブラッド・メルドーが創作したミニマル・ミュージックである。
DISC ONE
01. INTRO
02. 50 WAYS TO LEAVE YOUR LOVER
03. MY HEART STOOD STILL
04. ROSES BLUE
05. INTRO II
06. SOMEONE TO WATCH OVER ME
07. THINGS BEHIND THE SUN
DISC TWO
01. C TUNE
02. WALTZ TUNE
03. FROM THIS MOMENT ON
04. ALFIE
05. MONK’S DREAM
06. PARANOID ANDROID
07. HOW LONG HAS THIS BEEN GOING ON?
08. RIVER MAN
BRAD MEHLDAU : Piano
(☆スリーブ・ジャケット仕様)
(CD2枚組)
(ライナーノーツ/青木和富)
コメント